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飯田簡易裁判所 平成10年(少コ)4号 判決 1999年4月21日

原告

甲野太郎

被告

乙川次郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金一〇万円及び平成一〇年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、落語会の席上で居眠りをした観客(原告)を、右落語会の実行委員である被告が強引にその場から退出させ、原告の名誉を傷つけたなどとして、右被告に対し、不法行為に基づく損害賠償(慰謝料)を請求したという事案である。これに対し被告は、原告を強引に退出させたということはないなどと主張して、右請求を争っている。

一  争いのない事実

1  平成一〇年一二月一七日午後六時ころ、飯田市大瀬木所在の伊賀良公民館(以下「公民館」という。)において、落語家立川談志(以下「談志」という。)の落語会が開催された(以下「本件落語会」という。)。原告は右落語会の観客であり、被告は右落語会の主催者である「伊賀良落語愛好会」の会員であり、右落語会当日は実行委員として受付等の事務を行っていたものである。

2  本件落語会の会場は、高座から見て前側が畳席、その後方が椅子席となっており、原告は同伴した妻とともに、右椅子席の最前列中央部に座っていた。

3  同日午後七時ころ、談志が高座に上がって落語が始まったが、原告はその後ほどなくして居眠りを始めた。

4  右居眠りが始まってしばらくしてから、談志は高座を降り、落語会が中断した。その間、原告は妻とともに公民館から退出し、その後談志が高座に上がって本件落語会は再開し、終了した。

二  争点

1  原告を公民館から退出させた被告の行為が不法行為としての違法性を有するか。

2  1で違法性があると認められた場合の、損害の有無及びその額。

第三  争点1に対する判断

一  前提となる事実の認定

証拠によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、本件落語会が開演する前の午後五時半ころに公民館に到着し、開演までの間に弁当を食べ、さらに缶ビール一本を飲んだ(原告本人)。

2  本件落語会は午後六時半ころ開演し、前座が行われた後、午後七時ころから談志の落語が始まったが、原告はその後ほどなく居眠りを始めた(争いがない)。

3  右居眠りに気づいた談志は、原告に対し、「お父さん、寝ちゃって大丈夫かい」、「目の当りで寝てんのはかなわねえ」、「連れて帰ってくれたがいいですよ」、「ズバッと言やあ目障りだ」などと言い、その場で小咄をいくつかやり、それに場内は何回か爆笑したが、原告が目を覚ます様子はなかった。そこで談志は、「やる気なくなっちゃったよ」と言い、観客に休憩する旨告げて高座を降り、本件落語会は中断した。そして、高座から降りた談志は、弟子に「ダメだやってらんない、他の客はちゃんと聞いているのに、ありゃ迷惑だ」と言い、さらに被告に対し「やってられないよ」と言って楽屋に入ってしまった(乙七、一一、一七、一九、被告本人)。

4  本件落語会が中断した直後、実行委員の一人の訴外原功は、原告の席に向かった。その際原告は目を閉じていたので、「気分でも悪いのですか」、「お疲れでしたら、布団を敷きます」、「外の空気を吸ってはどうですか」などと声をかけた。そして、原は、その場を離れ、会場入口の受付付近にいた被告に報告をしていたところ、原告が会場から出てきたので、原は被告に、居眠りをしていたのは原告であることなどを告げた(乙七、一一、一四、証人原)。

5  被告は、その場で原告と少し話した後、「ここではお客さんもいるし、迷惑がかかるのであっちに行きましょう」などと言って、原告とともに公民館の玄関ホールまで歩いていった。なおその際、被告は原告の腕ないし腰の辺りに手を回し、並んで一緒に歩いていった(乙七ないし九、一一、一三、一四、証人原、証人居山。なお、これに反する原告の主張は後に検討する。)。

6  玄関ホールに着いた原告と被告は、その場で話し合いをしたが、原告は「居眠りをして何が悪い」、「金を払ったんだから何をしてもいいだろう」などと言って、会場に戻ろうとしたため、このままでは本件落語会を再開できないと判断した被告は、原告の上着の袖を持って制止した上、「とにかくお帰り下さい」と何度も懇願し、さらに玄関に土下座して原告に退出を求めた。その後、原告は、妻から「帰りましょう」と言われたことなどから、公民館から退出した。なお、この間、談志は楽屋におり、本件落語会が再開する見込みは全く立っていなかった(甲三、乙八、九、一一、一四、被告本人)。

二  原告主張に対する判断

1  原告は、本件落語会が中断した直後、会場出入口付近で被告に右衿を掴まれて玄関ホールに引っ張っていかれた、また、被告から一方的高圧的にがなり立てられたと主張し、同旨の供述をしている他、妻の陳述書(甲三)にも同旨の記載がある。

そこで右事実の存否について検討する。まず、原告供述を補強する内容となっている前記妻の陳述書の記載内容は、前記原功の陳述書及び当法廷での証言に照らし、不自然かつ信用性に乏しいといわざるを得ない。すなわち、妻の陳述書は、原告が会場出入口付近で被告に衿を掴まれていたことを目撃したという内容になっているが、会場出入口付近で原告と被告が話し合っていた時は、妻は未だ会場内に止まって原と会話をしていたことが明らかであり(証人原)、かつ原は、原告と被告が玄関ホールに向かったことを確認してから、妻のいた席に行ったと認められるのであるから(この点に関し、原は「原告と被告が玄関へ向かったので、原告の席へ荷物を見に行きました。そのとき、原告の妻がいることがわかったので『ご主人には帰っていただけそうです』と言って荷物を託した」と述べているが、その証言内容は他の証拠より認められる本件当時の状況とよく符合し、かつその内容も自然であるから、信用性は高い。)、妻が会場出入口付近に行ったときには、既に原告と被告は玄関ホールに行っていたと認めるのが自然である。したがって、これに反する右妻の陳述書は、信用性に極めて乏しく、また、右陳述書と同旨の原告供述もまた、信用性に乏しいといわざるを得ない。そして、原告供述を裏付けるに足りる証拠は、右妻の陳述書以外には認められないから、結局、前記原告の主張はいずれも認められないということになる。

2  また、原告は、本件落語会後に被告が送った手紙(甲一)の趣旨について、自己の法的責任を認めた趣旨であると主張するが、右手紙は、原告が退出したことそれ自体に対する感謝及びお詫びの気持ちの現れとみるのが相当であり、本件における法的責任を認めた趣旨とまでは解されないから、これについての原告の主張もまた、理由がない。

三  違法性の存否に関する判断

以上認定した事実を前提に、違法性の存否について判断する。

一般に、講演会、演奏会、演芸会といった催し物の場合、これらの演者は、日頃鍛えた芸事あるいは自らが考えていること等を観客に対して十分披露し、その期待に応えたいと考えるのが通常であると考えられるし、観客もまた、入場料という対価を払って、右芸を十分に堪能したいという意思・姿勢を有していることが通常であると考えられる。そして、観客の右姿勢が演者に伝われば、それに力を得た演者がその力量を遺憾なく発揮し、それが再び観客に伝わり、更なる盛り上がり生むといった良き循環関係が生まれるものと考えられる。このような観点から本件をみた場合、原告の居眠りは、その程度によっては演者の意欲を削ぎ、また、他の観客の前記意思を削ぐものとなり、演目続行の重大な障害になることもありうる。そして、事態の進行によっては、演目がそのまま中止となってしまい、演者及び他の観客に大きな損害を与えることも考えられるところであり、現に本件ではそのようなおそれが十分にあったと認められるのである。したがって、このような事態となった場合、主催者側としては、当該演目の円滑な実施及び他の観客の利益保護の見地から、その原因を作った者の会場からの退出を含む何らかの手段をとる必要が出てくることも否定できないというべきである。もっとも、その者を退出させる場合は、その後の同人に与える不利益をも十分に考慮する必要があるから、(1)退出を求めなければ、当該演目の続行ないし再開が困難であり、かつ、(2)退出を求めた際の主催者側の一連の言動が、具体的状況の下で社会通念上相当と認められる場合には、不法行為上の違法性はないと解するのが相当であり、この限度で退出者の名誉等の何らかの法的利益が侵害されたとしても、それは受忍すべき限度内にあるというべきである。

そこで本件について検討すると、前記認定のとおり、談志は原告の居眠りが原因で高座を降り、本件落語会が中断したこと、また、前記認定事実からすると、原告が退出しない限り、本件落語会の再開は困難であったと認められること、本件落語会が中断した後、被告ら主催者側は、原告を直ちに退出させることなく、一〇分以上にわたって玄関ホール等で退出を懇願し、さらには被告が土下座して退出を求めたこと、原告の居眠りにより本件落語会が中断し、その事で他の観客に迷惑がかかったことに関し、原告が反省の態度を示さなかったことなどを考慮すると、被告らを中心とする主催者側の一連の行為は、全体的にみて社会通念上相当とされる範囲を逸脱していないと認めるのが相当である。

以上から、争点1についての原告の主張は理由がない。

第四  結論

以上から、争点2について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官内田義厚)

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